Saturday, February 26, 2005

JUNGLE FEVER

おなじみSpike Lee Joint作品。Brooklyn, NYを舞台にして、アメリカに根強く潜む人種感情を描く。

白人vs.黒人という対立構造が、全体に流れているが、イタリアン・アメリカンにスポットを当てることで、もっと複雑でセンチメンタルな雰囲気を与えている。

スナイプ演じる主人公の兄役(名前は忘れた)が、言動からしてリアリスティックに思える。また、世代間の軋轢の演出も現実的。

ただ、イタリアン・アメリカンの彼女が、可哀想過ぎる。スナイプが彼女に対して行った行動は、「そんなのあり!?」と言いたくなったけど、現実社会ではそんなのは序の口なのかもしれない。

ジャングル・フィーバー
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Tuesday, February 22, 2005

神流川で一休み

神流川沿いを歩いた


川の水がとてもきれいだ
春の雪解け水か、とても澄んでいる
川面が静かに風でなびいている
水の流れる音
リラックスしないわけがない



まわりは山で囲まれている
青山のむこうの雪山
浅間山の雪化粧



トンビが2羽 のんびりと旋回している
仰向けで空を眺める
子供と来れたら さぞ楽しいだろうに

Monday, February 21, 2005

帰国(Uターン)ショックによる疎外感

逆カルチャー・ショックのうち、帰国(Uターン)ショックに対しての精神的サポートは、どの程度存在しているのだろうか。自分の経験に照らし合わせてみたが思い当たらない。

帰国しても、同じような経験をしている人がまわりにいないので、自分の気持ちを分かち合えない。日常会話に上がるようなテレビ番組やタレントの話題にはついていけない。自分の経験については自慢話にならないように苦心して話す。話したところで「ふーん」でおしまい。自分は自分と言い聞かせて意地になる。「海外経験した自分」に固執する。誰からも理解されていないのではないかという疎外感を味わう。孤立していく・・・。

以前話題になった「パリ症候群」の人々は、帰国後どうしているのだろうか。帰国したところで心の行き場を失っている人も多いのではないか。

将来の帰国を考えて日本で仕事をする外国人は、同じような問題を抱えるだろうか。こどもの教育のことまで考えたら、結構切実な問題と思えるけど。

会社が社員を長期海外滞在させるのであれば帰国後のサポートにまで配慮しているのだろうか。外国人労働力に依存するなら、帰国後のケアも視野に入れているのだろうか。

もっと気軽に考えればいいことなのか。本人だけの問題だろうか。大した問題ではないのだろうか。どうなのだろう。

Saturday, February 19, 2005

「100人の地球村」に関して

「100人の地球村」が有名になっていく過程

手元にNGOガイドが届いたので開いてみると、「世界には63億人の人がいますが もしそれを100人の村に縮めるとどうなるでしょう・・・」と100人の村の話が掲載されていた。数字が分かりやすくて、魅力的だと思った。出典は「世界がもし100人の村だったら」マガジンハウス、池田加代子/再話、とある。自分のホームページにも掲載してみようと思い、調べてみると・・・おやおや?オリジナルと、翻訳と、付け足しとやらがあって、こんなにも批評も目にさらされているとは・・・。

手元の冊子のには載っていないけど、付け足し部分というのは確かに嫌悪感を誘発しますね。調べてみるものですね。

オリジナル(英語版)の100人の地球村A Village of 100 People Representing the World

100年の地球村の元になった「地球村の住人」(1000人の地球村)
Who Lives in the "Global Village?" by Donella H. Meadows

Thursday, February 17, 2005

朝日新聞の記事「女性来日、比大使館が仲介業から預託金 是正要請」に寄せて

朝日新聞の記事。業界に携わっていた者として、簡単なコメントをしますね。

まず、この記事で言う預託金とは、「エスクロー」といいます。日本側のプロモータがフィリピンからタレントを招聘する場合に、2万USドルあるいは相当額のペソをフィリピンの銀行に積むというもの。新聞の記事がいうように、大使館の言い分は、タレントの給与を保護するためとしています。必要があれば、大使館が当エスクロー口座から勝手に給与補填してもよい、と契約するわけです。記事だけみると、あたかも大使館が現金を預かってるみたいで、誤解しちゃうよね。

ちなみに、エスクローを積まないと、日本のプロモータがフィリピンのインター(タレントを送り出すエージェンシー)を通じて招聘できません。

それは次の理由によります。

プロモータ(会社として)は、一定のエージェンシーからのみタレントを招聘できます。その契約のことを以前、CPAと呼んでいました(やがてSPAと改名され、今ではCOVと呼ばれているようです)。契約は年に一度の更新制でした。このための認証手続きが煩雑で、認証料も馬鹿になりません。そして、エスクローは、この契約を新規申請あるいは更新するための絶対条件なのです。

なお、その申請を最終的に認可するのが比大使館の労働担当官様様。ですから、タレントを日本へ招聘するためには、労働担当官に何度も何度も頭を下げる必要があります。ですから裏金が飛び交っても何の不思議もありません。

また、各タレントが来日する前にプロモータは、トランスレーションという書類を大使館で申請しなければなりません。これが7350円の正体で、内訳は、労働部がVerificationの名目で2,100円、並びに領事部(ビザセクション)がAuthenticationの名目で5,250円徴収していました。建前上はプロモータとお店の請負契約書の翻訳文ということでした。

これらのシステムは以前から問題になっていて、外務省から大使館労働部に対して忠告があったはずのですが、招聘業界の自主制度と言う風にすりかえられて、うやむやにされていました。フィリピン本国のDOLE(労働省)とPOEA(海外雇用庁)、そして比大使館労働部ではそれぞれ、利権がからんだいるためか違った見解を示していて、翻弄させられたのを覚えています。確かに、この制度を利用した賄賂が横行していました。が、ある意味では、タレントの福祉や人権擁護として活用されるべきシステムのはずでした。

興行の世界から離れて1年半以上経ち、私の知ることは少々古くなっていると思います。ただ、いまだなおこのような記事を目にすることに、「相変わらずだなあ」というのが感想です。

記事詳細

Wednesday, February 16, 2005

霊能力に関して

スピリチュアルとの代名詞である江原啓之さんが先日、ゲスト出演としてテレビにでていた。新聞の広告で彼を見たことはあったけど、テレビで見たのは初めて。他の出演者を交えて、オーラのや背後霊の話をしていた。そこで、彼の言うオーラあるいは背後霊とはなんぞや、と考えてみた。

印象としては、彼は感性がすごく発達している。確かに話術に長けている。対象物や人から感じたことを経験や記憶を織り交ぜて、うまく言葉で表現している。

彼は一体、何を感じ取っているのか。

まず第一に、彼が言い当てようとしているのは、人が隠そうとしても隠し切れない、「真実」。それは、訓練した者でさえ隠すことの難しい、顔や体、またはその動きに刻まれたもの。たとえば、緊張した時の顔の筋肉や指先の動き、顔の紅潮や唇の乾き、また手に汗握るといった生理現象。これらは、急な事態には否が応でも表出してしまう。加えて、耳の傾き具合や積年の皺などは、個人の特性を具現化している。

次に、対象の体は、(1)本などで得た単なる知識、(2)個人的な記憶、(3)社会的な記憶、(4)慣習的な記憶がそれぞれ合い備わって表現されている。

(1)は経験に即さない、外部情報のみからくる話など。(2)は、日記に書くような個人的な出来事によって、(3)は宗教行事など、社会集団に参加することによって、また(4)は、お辞儀など、社会的に生きるうえで習慣化する行動パターンによって、それぞれ記憶されている。

記憶といっても、頭で覚えているだけではない。体も覚えているのだ。ひとつひとつは、切り離せない連続線上にあるかもしれないが、江原はそれらを巧みに「全体」として感じ取り、日本語に翻訳する。

感じたものは、尊敬の念を持って感じ取れば金色、左脳的なドライな感じがすれば青色、熱血感たるウェットな感じがするものには赤色、また、交じり合った印象を与えれば混じりあった色で、認識される。また、印象の度合と色の濃淡差は比例する。なぜその色でなければならなかったか、それは心理学か脳医学に任せよう。ただ、対象に付けられる「オーラ」の色とは、江原の人生の中で蓄積されたデータベースと彼の肉体的かつ心理的作用とが掛け合わされて、瞬時に右脳で描かれ、左脳で言葉として処理される。このプロセスが天才的なのだろう。

当然、江原自体が知見したことや経験したことが元で、偏見に至ることだってある。日常や世俗に慣れ親しんでしまうと、なかなか嗅ぎ分けることが難しいことだってある。だから、一歩引いて遠くを見るようにして、対象が発するものを全体として感じ取る必要がある。そこには、想像上の霊体が「存在」する。侍の印象を感じ取れば、侍が背後霊だ。「今」の印象から逆算しているのだから、否定すべき背後霊なぞいない。生物の存在が神秘的で、調和された結果として「今」があるわけなのだから、背後霊はハーモニーをなしている。

それはさておき、それぞれの背後霊にはまた、背後霊が付いていると言う。なるほど、うまい表現をするものだと思った。まさに、モノは言いようだ。

Saturday, February 12, 2005

日比の価値観の違い

フィリピン国立大学・国際関係学博士のシルバノ・マヒヲ (SYLVANO D. MAHIWO.Ph.D)氏が、日比の価値観の類似・相違についてキーワードを挙げている。

類似点:

Utang Na Loob(義理・義理人情を重んじる)
Hiya(恥の文化)
Walang hiya(恥知らず)
Mukha(体面を大事にする)
Pakiramdaman(フィーリング、感情、相手の顔色をうかがう)
Pakikisama(付き合い)

相違点:

Karapatan(権利の主張)
Pamilya(身内を大事にすること)
Puede na(それでOK)
Manyana(明日は明日の風が吹く)
Masayahin(陽気なこと、楽天主義)
Kanya-kanya(個人主義)

上記の具体例は氏の講演内容を参照。講演は日比ビジネスクラブ(JAPANESE BUSINESS CLUB, PHILIPPINES, INC.)のウェブサイトで紹介されている。

なお、氏の講演では取り上げられていなかったが、bahala-na(なるようになるさ)もフィリピン人を理解するうえで必須だと思う。

Monday, February 07, 2005

パリ症候群について

朝日新聞が2月2日、「パリ症候群」について取り上げていた。気になっていたので検索してみた。

あれ、朝日新聞の記事そのものが出てこない。まあ、いいか。とりあえず、2月3日の天声人語には出てきた。もしかしたら、夏目漱石はロンドン症候群だったのかな、などと思いを馳せてみる。

次に、関連サイトを読んでみた。
ね式(世界の読み方)ブログ
内田樹の研究室: パリ症候群
YUGO DE LETRAS(日々の記録)

さて、「パリ症候群」(syndrôme de Parisと)という名称は別段新しいわけでなく、1990年代には本の題名となっていたらしい。

フランスの新聞「Liberation」(リベラシオン)が12月13日、パリ症候群を取り上げたことから、改めて話題になったようだ。

まあ、「甘え」の延長上にある適応障害のことかな。

ちなみに、Amazon.co.jpの「甘えの構造」のレビューにこうある。


甘え」は「つきはなされてしまうことを否定し、接近欲求を含み、分離する感情を別のよりよい方法で解決しようとすること」と定義される。
本書では、「甘えの世界」として日本人の精神生活に根ざした「義理人情」などを取り挙げ、その観念体系を説明、「甘えの論理」で言語と心理の不可分の関係を論じた。また「甘えの病理」では「甘え」の延長線上にある「くやしい」という感情を解説し、その病理を「甘えと現代社会」という社会現象論にまで発展させていく。
あるいは、こうとも言える。仮に、多くの東洋文化におけるコミュニケーションの目的が、調和と社会的統合を促進することにあるとする。そこでの言語の役割は、既存の社会的関係、政治、道徳などと切り離せず、コミュニケーションの手段の一つに過ぎない。人は社会に適応するために、特別な感受性を発達させる。

例の良家の子女は、その社会集団の中で良い子になるように教育を受けてきた。しかし、パリのような、言語メッセ-ジに第一義的価値を置く(つまり、説得力のある内容自体により高い価値をもつ)社会に身を置くとなると、男性よりも非言語的キューを読むことに長けた女性ならばなおさら、「冷たい」仕打ちを受けているように感じてしまう。非明示的コンテクストを理解してもらえないもどかしさ。駄目人間として扱われているような劣等感。そして腹立たしさ。「こんなはずじゃない!何か違う!くやしい!」と。
これに加え、講の伝統にのっとってお国の代表者のつもりでいるから、より無理する。

やがて、「なんで私のことをそんなに悪く言うのよ!」と、被害妄想が膨らむ。「こんな自分は自分じゃない。人にみられたくない」と自分だけの空間を探す。内(家)にこもる時間も次第に長くなっていく。浅はかな目標はもう、微塵も無い。夢を見ていたことさえ忘れてしまう。次第に自分のコントロールも及ばなくなっていく・・・。(ピリオド)

将来への見通し不安、ことばによるコミュニケーション失調、対人恐怖、外出恐怖、壁から「自分をバカにしている声が聞こえる」といった被害妄想、そして自殺未遂・・・。フーム、同じ東洋社会に身を置いてきた者として、分からなくもない。

ここで思ったことは、それでは日本に来ている外国人はどうかということ。パリ症候群は、家父長制のような伝統文化も起因するようだから、在日外国人に対してそっくりそのままは当てはまらないかもしれない。けれど、それならば逆バージョンによって、似たような適応障害が起きているのでは?不登校児が増えている背景とか考えると、関係ありかな。

この件については、あとで掘り起こしてみよう。

Sunday, February 06, 2005

外国人日本語弁論大会 

外国人日本語弁論大会(藤岡地方ユネスコ協会主催)を見学してきた。アメリカ人1名、中国人4名、フィリピン人1名の計6名による発表だった。以下は、聴衆の一人としての感想。

まずは、ALTをしている、アメリカ人。日本人の母とスリランカ人の父を持ち、アメリカのカリフォルニア育ちという、多文化を体現している人。異文化に興味を持ったのは、高校生になってからとのこと。ティーンエイジというのは、アイデンティティを模索し始める年齢なのだろうか。彼女は今、日本の太鼓が好きなのだと言う。これからは、日本の文化を縦糸、またアメリカの文化を横糸として交流を織り成していきたいそうだ。綺麗にまとめるよね。

次は、中国からの、高崎経済大の学生。彼女から見た、日本の良い点、また残念と思われる点を挙げた。良い点は、日本人の勤勉なところ。完璧主義ともいえる勤勉さが、今の日本の発展に寄与してきたと。一方、残念な点とは、日本の学生が甘えすぎている点。授業中に飲食したり、寝たり、帽子をかぶったりしている大学生を批判。授業中に帽子をかぶるのが悪いかどうか、賛否両論あるだろうけれど、とにかくも中国ではタブーだということだろうね。そういえば、日本の小学生は普通、躾として授業中に帽子をかぶらない…。苦労して留学してきた人をがっかりさせない国であり続けてください、とのことです。

3人目は、大学生であり、また飲食店のリーダーをしているという中国人男性。棒読みだった。ただ、言いたいことが沢山あるみたい。高校時代に日本語を学んだ経験、アパート探しでの敷金・礼金、日本語で仕事の日誌を書く難しさ、中高生の礼儀の無さ、家族を仕事より優先したいこと等、個人の体験を踏まえて読んでくれた。大学を卒業するであろう3年後の、日中関係を心配していた。どちらに住むことが幸せなのかと。日中関係の軋轢感情を昨今、体感するんだろうね、きっと。

4人目は、将来に5つ星級のホテルを経営するのが夢という中国人大学生。20年以上両親に心配をかけてきたのだから、これからは独力で頑張りたいと。あれ、まだ大学生じゃないの、と思ってしまったが、もしかしたら、日本で働いたうちのいくらか、中国へ送金してるのかも。日本では、最も親のすねをかじるのが大学生だから、留学生のこういう大人びた意見を聞くと、なんかびっくりしてしまう。夢に向かって頑張ってね。

5人目は、京都で1年半滞在したことがある、中国人大学生。親切にしてもらった思い出や、一般家庭でホームステイした体験談を語ってくれた。来日して一番大変だったのが、言語の壁だったらしい。買い物のときに、分からないことを尋ねることさえ出来ず、苦労したとのこと。京都時代に親身にしてくれた日本人がいたらしく、何度も名前を挙げていた。なんか、異文化交流の原点を見た気がする。異文化交流っていうのは、そういう心に残る、人と人との関係が大切だよね。

最後は、日本滞在歴12年のフィリピン人男性。滞在歴12年にしては日本語が上手いとはいえなかった。高崎のキリスト教会で神父様に導かれて今があると。娘の学校を世話してくれたのも神父様らしい。カトリック教だろうか。宗教の個人形成に果たす役割は、フィリピンでは当たり前のこととして認識されているであろう。それが日本人の聴衆にどう受け止められたろうか?彼は最後に、日本語の歌を披露してくれた。上手いんだよね、歌も日本語も。

この弁論大会には、審査による優劣が無い。個人的には二人目かな。話す内容や日本語はもとより、態度も立派。

この大会に出場してくれた皆に感謝します。勇気と希望を与えてくれてありがとう。

ニュース
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Friday, February 04, 2005

広域災害時の外国人居住者への留意点

郡大で行われている、多文化共生支援者養成講座に行って来た。今日(3日)の講座のタイトルは、「広域災害時における外国人居住者への留意点」。講師は田村遵一先生(郡大医師)。郡大教育学部C201号室で行われた。


社会人でも参加しやすいようにと午後6時からの開演だったが、道に迷ってしまい、遅刻してしまった(残念!)。参加定員は80人ということだったけれど、その3分の1くらいしかいなかったかも。宣伝が足りなかったんじゃないかな。自分がこの講座のことを知ったのも、たまたまインターネットで毎日新聞のニュースを拾っただけだもの。出席していたのも、ほとんどがプロジェクト関係者のようだった・・・。


さて、席に着いてみると、田村先生がプロジェクターによる画面を説明していた。説明に耳を傾けたが、「多文化共生」には直接関係なさそうだった。内容は広域災害のような緊急事態時に備えてどうするか、ということが中心で、新潟中越地震における実例を元に検討するというものだ。要は、日本人被害者に対する支援でさえ難しいんだから、日本語のわからない外国人に対してはもっと大変だろう、ということらしい。


以下、自分のとったメモを羅列
  • 広域災害とは、地震、津波、風水害・台風、火山、テロ、雷などのこと。
  • 支援物資として食物や住環境が特に大事。
  • 普段から緊急時に備えること。少なくとも2、3日分の水や保存食があれば、緊急事態はしのげる。
  • 災害がこないという思い込みは捨てる。災害が起きてからでは遅い。思ったこと以上の事態が起こるからパニックになる。
  • 机上の対策でも構わないから、いろいろな角度からシュミレーションをしてみる。
  • 新潟の地震のときは、連絡用の媒体として携帯メールが一番使えた。その理由は、使う人が若者に限られていたために、回線の混雑を避けることが出来たからに過ぎない。
  • 受け取る側の身になって支援せよ。私が何をしたかではない。相手が何を要求しているのかが大切。よく聞くこと。しかし、これが難しい。医療現場のように、目で見て緊急の度合いを見極められるのならまだましで、話す内容からはなかなか、支援の優先順位をつけがたい。ましてや言葉が通じなかった場合には・・・、ということになる。

それにしても、医療支援現場に派閥というのがあるんだね。口コミに頼る、足でかせぐ、というのが支援の方法だったそうだ。

また、最後の質問や提案には下記のものがあった。

  • 他の地域の同じ文化を持つ人が支援に来れないか。同じ文化の人から援助されれば、安心し、心強く感じるのではないか。そのための登録機関が必要だ。
  • 医師などの専門技術を持っている在日外国人に登録して頂いて、緊急どきに支援を依頼できるようなボランティアのネットワークシステムづくりができないか。
  • 災害対策に関心を高めてもらうにはどうするか。

思うんだけど、緊急時のために、携帯などに入力しておくなどして、最低限必要な言葉の翻訳文を持ち歩けないだろうか。Eメールで翻訳文を配信するのはどうか。インターネットのサイトを使って、何らかの登録をしておいて、緊急時の支援に使えないだろうか。ウーム、わたしにも何か出来そうな気がしてきた。

講師いわく、どうすればいいのか、結果として分からないと。多文化共生以前の壁ということだろう。しかし、広域災害のような緊急事態が起きなければ私たちは、多文化共生や異文化交流については、なかなか考えない。災害に備えることをおろそかにするくらいなのだから、私たちはまだまだ、多文化共生について考えが至っていないに違いない。それならば、震災を多文化共生に取り組むきっかけにして、これから理解を深めていこう。そう思った。