Sunday, March 26, 2006

養護学校で臨任してみて

この一ヶ月間は、養護学校で臨任として一年生の担任をしました。新任の臨任教員が学年末に右も左も分からぬまま飛び込んできて、他教員を困惑させただろうことは重々承知しています。随分甘えてしまった面も否定できません。それでも、ほとんどの教員が私に温かく声をかけ続けてくださり、大変勇気付けられながら最後までやってこれました。24日、無事に修了式の日を迎え、任務を終了しました。本当にありがとうございます。

最初の一週間は、本当に目が回りそうでした。一日の流れどころか、人の名前や校舎の配置など、全くといっていいほど知らず、気忙しさや緊張感が入り混じって、本当に疲れました。登校は誰が何線でくるのか、帰りは誰が何線のバスに乗るのか、また、誰が学童へいくのかといったことを知らないどころか、一体何線のバスがあるのかさえ知らない状態でした。気持ちが落ち着いたのは、2週目あたりからでした。

初任3日目、F先生が年休をとったときは、すったもんだでした。それは、ちょうど遠足の日でした。遠足自体は他の先生やボランティアの人が補助してくれてそれほど大きな問題は感じませんでした。が、学校に戻って帰りの会をしようとしたときは、どうにか着席させてみたものの、その後の流れがよく分からず大変でした。日直当番をすることが大好きなST君が、たまたま当番をやっていたので、彼に任せるふりをしてある程度はごまかせたものの、彼をしてもある程度は私のリードを必要とするわけですから、ちぐはぐもいいところでした。こういう状態のときは、○○君という名前だってとっさに出てこないものです。

クラスには5人の児童がいて、私を含めた二人の担任に加え、登校・昼・下校時に限ってもう一人の教員が加わって指導していました。もう一人の教員というのが自立活動を担当していて、この先生、実は私の中学のときの同級生なのです。初めのうちは少し気恥ずかしい感じもありましたが、すぐに吹っ切れました。お互い何はともあれプロとして人様の子を預かっているわけですから。

クラスでは、お決まりの歌や挨拶の文句があります。「先生とおともだち、先生とおともだち、挨拶しよう、おはよ~。先生とおともだち、先生とおともだち、握手をしよう、ギュ、ギュ、ギュ~」「トントン、○○○○君、(はい、おはよう、元気元気!)」「あな~たのお名前は、あな~たのお名前は?・・・(○○○!)・・・あら、素敵なお名前ね~」など、私は当然初めは知りませんから、戸惑いました。知ったかぶりにも限りがあります。ですが、私がクラスでの決まりごとを知らなくておどおどすれば、たちまち見抜かれてしまいます。ごまかしつつ、もうひとりの担任に任せていましたが、そうしているうちは、なかなかこれらの歌も覚えられませんでした。自分でクラスのリードをした後、ようやく自信をつけて歌えるようになったと思います。

子どもたちには個性がありました。当たり前のことかもしれません。ただ、任務前には、養護学校の子どもにどう接していいか全く見当がつかず、自閉症や学習障害という言葉(タグ)が先行してしまっていました。しかし、子どもによって発達過程が違い、今できること、または、できつつあることが違うのです。正直言って、どこまで手助けしてやるべきか迷いました。一人ひとりのことを知らなければ分からないのです。

今日は学校で何があって、何が出来たのか、あるいは体調はどうだったかなどは、連絡帳で外部に伝えます。連絡帳は学校以外での生活態度を知ることや、家庭や施設との連携に役立ちます。連絡帳をつけるのは、子どもたちが下校前に着替える間です。単に着替えといっても、介助が必要な子もいますし、また、いくら言ってもなかなか着替え始めない子もいます。ですから、たった2、3人分の連絡帳でも結構大変でした。ご家庭のみなさん、私の乱筆乱文をおゆるしください。

初めのうちは、児童たちも新任の先生のことを、どこまでしたら叱る先生なのかと観察していたようです。何をしても叱らないとあれば、てんでんばらばらで収拾つかなくなります。ただ叫んでも全く効き目なしです。しかし、こちらが何度となく指示しても一向に言うことを聞かなかった子でも、F先生が一喝すると、スーっと従ったりします。自分の経験値や力量の無さはもとより、信頼関係構築の大切さが如実に感じさせる一こまでした。

自分の力量の無さは、給食の時間に実感します。それは、好き嫌いの激しい子を食べさせるときです。SH君に対しては、好きな果物を最後まで預かっておき、例えば、「これを食べ終えないとこのイチゴは食べられませんよ」と言って食べさせます(脅し!?)。また、スープ類が好きなので、小分けにして与えないとバランスよく食べてくれません。他方、YH君はまだ、スプーンやフォークが使えません。また、自分の手で食べ物を持つと散らかしてしまうだけです。好き嫌いがとても激しく、与えてもすぐ吐き出してしまいます。好きなものに隠して他のものを食べさせようとするのですが、このときのYH君の観察眼は普段と打って変わってとても鋭く、すぐ見抜いてしまいます。この二人、入学当初に比べて改善したとのことです。私の力が至らないために、甘やかして好き嫌いを増長させてしまったのではないかと今更ながら反省しています。

私の無知のために、先生方の努力によって子どもたちから引き出してきたことを逆行(退行)させてしまったことは多々あると思います。例えば、SH君の小便排泄。彼はまだ小便や大便の失禁をしてしまうことも時々ありますが、トイレに行って小便便器で用を足すこともできます。担任のF先生は今まで、彼が大便便器から小便便器で用を足せるように導き、ひざ下まで下ろしていた彼のパンツを徐々に上げさせてきました。しかし私が初めてSH君をトイレに連れて行ったとき、私は彼が性器を手でつままずにズボンを濡らしてしまうことに見かねて、下着とズボンをひざ下まで降ろすよう指導してしまったのです・・・。F先生、申し訳ありません。SH君、混乱させてごめんね。

全般の反省を通しての救いは、すべての先生方から友好的に接していただいたこと、それと、何にも増して、子どもたちが可愛くて可愛くて仕方なかったという気持ちがあったことです。海外にいて会えぬ実子を、クラスの子どもたちの中に重ねてみていたことも否めません。自分の子のように可愛い。私はその気持ちを別に隠すことも無く出しましたし、素直な子どもたちのことですから、その気持ちがストレートに伝わったとも思います。大変なことでも辛いと感じなかったのは、そういった気持ちが基本にあったからではないかと思います。

現場に入り、子どもたちを観察し彼らと関わることができたからこそ得たもの、また捨て去ることが出来たものがあると思います。たった一ヶ月ですが、足を踏み入れたことがあると無いとでは大違いです。自信もつきました。

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