Wednesday, October 26, 2005

LOHAS(ロハス)

LOHAS(ロハス)という言葉を最近よく耳にする。時代の流れなのか、新宿歌舞伎町のホストが街のゴミ拾いをしたり、若者が競って手首に白バンドを付けるのも、ロハス的な流れを汲んでいるといっていい。

ロハスとは、Lifestyles OF Health And Sustainability(「健康」と「持続可能な社会」に配慮したライフスタイル)のこと。 もともとは、米国の社会学者ポール・レイ氏が提唱した概念らしい。同氏らが90年代末に、全米15万人に価値観に関する調査をしたところ、「金銭的な豊かさや社会的成功を最優先しない」や「健康的な食生活に関心がある」といった考え方の人たちが25パーセントもいたそうだ。

その後、マーケティング用語として広まってきたのは承知のとおり。アカデミー賞授賞式の際に、ロハス関係の団体がレオナルド・ディカプリオらに、リムジンではなくトヨタの「プリウス」で会場に乗り付けてもらうパフォーマンスを成功させるなどして、着実にその名や概念をを社会に浸透させてきた。

今やLOHAS市場は盛況も盛況。アメリカだけでも227,000,000,000ドル(約25~26兆円)規模の市場価値があるというから驚きだ。

ネットで「LOHAS」と検索すると、ヒットの多いのは日本サイト。いかに日本で注目されているかがわかる。LOHASは日本人の心情に訴えやすく、また、日本人の多くがこういった流行に敏感で躍らされやすいからかもしれない。

下記はネットで拾った、ロハス市場の5つのカテゴリーhttp://www15.ocn.ne.jp/~hurusato/page002.html) :

1. Sustainable economy(持続可能な経済)
  *風力発電等の再生エネルギー
  *省エネ商品&グリーンな都市計画&交通手段、
  *社会貢献活動(やりがいを持って社会貢献できる仕事) etc.

2. Healthy Lifestyle(健康的なライフスタイ)
  *オーガニック&自然食品、
  *サプリメント、有機野菜や化学添加物の少ない食品、健康食品
  *ナチュラルなパーソナルケア商品(オリーブ石鹸など)  etc.

3. Alternative Healthcare(代替ヘルスケア)
  *自然治療、はり治療、運動
  *病気と同様な症状を発見させる物質を使用して治癒させるホメオバシー
  *漢方薬や場合によってはアロマセラピーなどで、なるべく薬に頼らない、
    ホリスティックな疾病予防  etc.

4. Personal Development(自己啓発)
  *ヨガや習い事、フィットネス
  *能力開発や精神性の向上のための、CD、本、セミナー
  *人間関係への時間投資
  *好奇心を持って理想実現のために行動したい  etc.

5. Ecological Lifestyle(環境を配慮したライフスタイル)
  *環境に配慮した家やインテリア、
  *エコ関連の各種商品(家庭用品、オフィス商品)
  *価格よりも性能がいい商品を選択
  *身近に自然を感じていたい  etc.

なお、月刊ソトコト誌によると、ロハス的発想には次のことが挙げられるとのことだ。 Umm、美しい!
  • 質素な生活を目指すのは素晴らしい。
  • 異文化に興味がある。
  • 持続可能な地球環境を支持する。
  • 地域社会を再生したい。
  • 政治にあきらめを感じていない。
  • 創造的時間を大切にしたい。
  • 女性の社会進出は当然だ。
  • 私は理想主義者だ。

  参照:朝日新聞be on Saturday(05年9月17日)、朝日新聞・朝刊(05年10月25日)

Sunday, October 16, 2005

官僚主義と義務教育

些細な報告に際するペーパーワークや押印、時間をかけて何部署もたらい回しにさせられた挙げ句に聞く「また後で」、行事に参列したときに聞かされる延々と続く挨拶。公務員による税金の無駄遣い。官僚主義または官僚制といった言葉は、巨大化された組織体の融通の利かない形態やその原理を指して使われる。私たちは、生活上の「お役所的」なことは面倒くさいとして嫌うし、また、評論家や学者たちは、非民主的独善性、セクショナリズム、法規拘泥状態などと難しい言葉を並べながらそれを批判する。

没個性や無駄の象徴ともいえる官僚主義が問われている。最初は合理化・能率化を高めようとして始めたことでも、陳腐で無意味な因習になりえる。思考から切り離され機械的になっても、必要や欲求に適さなくとも、あるいは今ではすっかり反道徳的になったことでさえ、決まりだからと言って従わされる。無駄なコストがかさむ。組織の中で生きることに苛立ちや息苦しさを感じる人は、思考や創造性、価値観が画一化され、妨げられているとして嘆く。

学校教育も例外ではない。国による画一的な教育から、人々のニーズに応じた弾力的で多様な教育へと、時代の要請が変わってきた。しかし、戦前・戦中の道徳観が戦後の空気にさらされているにもかかわらず、規範規則だけが旧態依然としていたら、感受性の強い子どもたちが敏感に反応しないはずがない。むしろ、反応する子は正直だといえる。不登校、校内暴力、いじめやその他の非行は、時代の変化のなかで生ずる歪と無関係ではないだろう。

義務教育費国庫負担金(国から地方へ税源の移譲をすべきか否か)の問題も、文科省の官僚主義的態度が核心だ。現場を知らないお上の発想で、縦割りにした教育のままでは、知識偏重教育や偽善ボランティア精神、拠りどころの無い判断力、実力の伴わない経験がはびこるだけかもしれないではないか。教育の質に地方差が生じることを懸念というが、一体、何をもって教育の質と言っているのか見当がつかない。

佐賀県知事・古川康氏が、「分権改革 住民の満足度を高めたい」と題した論稿を寄せていた(05年10月5日、朝日新聞・朝刊)。
なぜ霞ヶ関ルールの行政がいけないのか。それは、せっかく住民から具体的な要望が届いたときでも、自治体が「国の基準で出来ません」と答えざるを得ないからだ。まるで、税金を納める住民の皆さんの声より、税金を補助金という形で地方に配る霞ヶ関の声を基準にしているように・・・。

Monday, October 03, 2005

あなたの悩み

なんか無駄なことをやってるんじゃないのか。こんなことをしていて良いのか。無意味だ。そんなことを考えているうちにさらに時間が過ぎ・・・。

どんな偉人も悩みました。かのトルストイにはいつも、「何のために?」「で、それから先は?」と根源的な疑問が付きまとったようです(トルストイ・著(原久一郎・訳)「懺悔」、岩波文庫)。「徒労」観を作品に織り込んだ川端康成。「漠然な不安」と言って他を去った芥川龍之介。あきらめの哲学の森鴎外・・・。表現の仕方は彼らほど芸術的でないにしろ、あなたも似たような心境にあることでしょう。

悩みが始まったときは、とにかく何かに打ち込んでください。何でもいいんです。余り考えなくて良いようなことを。そして失敗しても、ただでは転ばないぞという気概を持ち続けてください。きっと、あなたはさらなるオンリーワンとして、新たな、パワーアップした自分と向かい合うことになるでしょう。