霊能力に関して
スピリチュアルとの代名詞である江原啓之さんが先日、ゲスト出演としてテレビにでていた。新聞の広告で彼を見たことはあったけど、テレビで見たのは初めて。他の出演者を交えて、オーラのや背後霊の話をしていた。そこで、彼の言うオーラあるいは背後霊とはなんぞや、と考えてみた。印象としては、彼は感性がすごく発達している。確かに話術に長けている。対象物や人から感じたことを経験や記憶を織り交ぜて、うまく言葉で表現している。
彼は一体、何を感じ取っているのか。
まず第一に、彼が言い当てようとしているのは、人が隠そうとしても隠し切れない、「真実」。それは、訓練した者でさえ隠すことの難しい、顔や体、またはその動きに刻まれたもの。たとえば、緊張した時の顔の筋肉や指先の動き、顔の紅潮や唇の乾き、また手に汗握るといった生理現象。これらは、急な事態には否が応でも表出してしまう。加えて、耳の傾き具合や積年の皺などは、個人の特性を具現化している。
次に、対象の体は、(1)本などで得た単なる知識、(2)個人的な記憶、(3)社会的な記憶、(4)慣習的な記憶がそれぞれ合い備わって表現されている。
(1)は経験に即さない、外部情報のみからくる話など。(2)は、日記に書くような個人的な出来事によって、(3)は宗教行事など、社会集団に参加することによって、また(4)は、お辞儀など、社会的に生きるうえで習慣化する行動パターンによって、それぞれ記憶されている。
記憶といっても、頭で覚えているだけではない。体も覚えているのだ。ひとつひとつは、切り離せない連続線上にあるかもしれないが、江原はそれらを巧みに「全体」として感じ取り、日本語に翻訳する。
感じたものは、尊敬の念を持って感じ取れば金色、左脳的なドライな感じがすれば青色、熱血感たるウェットな感じがするものには赤色、また、交じり合った印象を与えれば混じりあった色で、認識される。また、印象の度合と色の濃淡差は比例する。なぜその色でなければならなかったか、それは心理学か脳医学に任せよう。ただ、対象に付けられる「オーラ」の色とは、江原の人生の中で蓄積されたデータベースと彼の肉体的かつ心理的作用とが掛け合わされて、瞬時に右脳で描かれ、左脳で言葉として処理される。このプロセスが天才的なのだろう。
当然、江原自体が知見したことや経験したことが元で、偏見に至ることだってある。日常や世俗に慣れ親しんでしまうと、なかなか嗅ぎ分けることが難しいことだってある。だから、一歩引いて遠くを見るようにして、対象が発するものを全体として感じ取る必要がある。そこには、想像上の霊体が「存在」する。侍の印象を感じ取れば、侍が背後霊だ。「今」の印象から逆算しているのだから、否定すべき背後霊なぞいない。生物の存在が神秘的で、調和された結果として「今」があるわけなのだから、背後霊はハーモニーをなしている。
それはさておき、それぞれの背後霊にはまた、背後霊が付いていると言う。なるほど、うまい表現をするものだと思った。まさに、モノは言いようだ。


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